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ミャンマーのロヒンギャ問題に見る民主主義の陥穽(英エコノミスト誌)

2015年6月20日
ジェットスターツアーズ

欧米メディアはミャンマーのロヒンギャ問題を南アフリカのアパルトヘイトと同列に扱っていて国際問題に発展しているのですが、アウンサンスーチーは沈黙を守り、ミャンマーの鎖国を終わらせたヒラリークリントンも黙して語りません。民主主義の陥穽ともいうべき事態がロヒンギャ問題であり、解決するにはミャンマーの歴史を知り問題の構造を理解することが解決の糸口になるはずです。

原文はこちら。The Rohingya: Apartheid on the Andaman Sea(ロヒンギャ問題:アンダマン海のアパルトヘイト)(英エコノミスト誌)

ロヒンギャは世界で最も迫害されている少数民族と言われ続けています。ミャンマーのイスラム少数民族であるロヒンギャは村から追い払われ、14万人もの人が不衛生な難民キャンプに行くことを余儀なくされています。

ロヒンギャは暴徒による襲撃を受けていますが、暴徒は罪に問われることはありません。新しく制定された法律によりロヒンギャが何人子供を産んでも良いのかが制限されました。国外へ逃亡する計画をしている者が少数ですが存在します。この半年の間に何千人ものロヒンギャが粗末な船に定員を超えるほどに乗り込みアンダマン海を渡りタイやインドネシアに亡命しています。違法仲介業者はロヒンギャに暴力を働き金品を奪っています。公海上でのロヒンギャの苦難は、アフリカ人が欧州での新しい生活を求め地中海を渡る時に受ける苦難と同じくらいショッキングです(地図上の赤く塗られた地域がロヒンギャが多く住むラカイン州)。


ロヒンギャ問題を仏教徒とイスラム教徒の宗教対立とするのは浅薄でありミスリードを引き起こしてしまいます。問題の構造を理解するのには、植民地の労働力確保のために異民族を利用し、さらに植民地統治にも利用したイギリスの植民地支配を理解する必要があります。そこから見えてくるのは宗教対立という表層の背後にある、実のところ経済と土地をめぐる争いという深層構造なのではないかと思います。

ロヒンギャの歴史は未だに謎が多く論争の的になっています。ミャンマー西部の仏教徒住民に言わせるとロヒンギャは「不法移民」でバングラデッシュから渡ってきた「ベンガル人」ということらしいです。

ロヒンギャがどうして「不法移民」と呼ばれる理由を歴史的文脈から探ると理由が見えてきます。実際に何百年も前からロヒンギャはアラカン(現ラカイン州)の土地に住んでいたようですが、今よりも遥かに人数は少なかったようです。英エコノミスト誌のThe Plight of Rohingyasによれば、1819年に始まったイギリス・ビルマ戦争の結果、1826年にイギリスがアラカンをイギリス領としました。その際隣接するベンガル地方から農業労働者として投入された人々が現在のロヒンギャのようです。ラカイン州のイスラム教徒の人口は当初少数でしたが、ビルマがコメの輸出で繁栄し始めるとイスラム教徒の人口が急増し始めました。1920年代までにビルマは世界有数のコメ輸出国になる一方、ラカイン州の仏教徒住民は急激な移民の流入に、農業で利益を上げるイスラム教徒は嫌悪すべき植民地支配者が送り込んだ総督だと憤慨し始めます。当時のラカイン州政府には移民を規制する権限がイギリスに与えられていなかったため、ラカイン州の仏教徒住民がロヒンギャを「不法移民」や「ベンガル人」と呼ぶようになっていったようです。

さらにロヒンギャ問題を複雑化させたのは、第二次大戦中のイギリスの作戦です。進軍してくる日本軍に対しイギリス軍がビルマから撤退し空白地帯になったラカイン州北部をロヒンギャに武装させ緩衝地帯にしました。ラカイン州が支配する者がいない空白地帯になったためロヒンギャとビルマ人が衝突し虐殺が起きました。これが1942年のラカイン州虐殺に発展します。さらに悪いことに日本軍が占領すると略奪のかぎりを尽くし2万人以上のロヒンギャが現在のバングラデッシュに難民として逃げ込ました。

このように歴史的経緯から読み解くと、ロヒンギャ問題のルーツはイギリスの植民地政策にあり、植民地の過去を持つ国々同様ミャンマーもそれが脈々と受け継がれています。

現在ロヒンギャ問題はさらに混迷を極めています。軍政からの解放を求めた民主化運動が皮肉にも民主化の大義名分によりロヒンギャが迫害されています。軍政時代のほうが現在よりもマシだったくらいです。ミャンマーの軍事政権が2011年に軍政をやめて以降ロヒンギャの置かれた状況が悪化しました。言論の自由のおかげで反イスラム主義を説く者を勢いづかせ、ラカイン州では暴動が起き200人ものロヒンギャが殺害されました。2015年ミャンマー政府はロヒンギャから身分証を取り上げました。今年ミャンマーは選挙を行います。選挙運動の中で反ロヒンギャ感情を煽る候補者が現れ票を獲得することが予想されます。その結果さらに多くの難民が海を渡ることになるはずです。

軍政が終わり鎖国から解放され外の世界とつながったことで多くの人の生活レベルは向上したのですが、世界各国がロヒンギャ問題でミャンマーに制裁を加えるのは皮肉でもあり民主主義の副作用のようなものです。

民主主義の陥穽と言っても良いくらいの状況を表すのは、アウンサンスーチーとヒラリークリントンの政治家二人です。この二人がロヒンギャ問題を解決できる手腕の持ち主です。アウンサンスーチーは国内外で評価が高く軍政に反対して軟禁状態になり、一方、ヒラリークリントンは国務長官時代に外交努力でミャンマーを開国させた功績があります。

しかし、両者ともロヒンギャ問題には無言を通しています。ヒラリーはロヒンギャ問題を大統領選の政策課題として取り上げてもアメリカ の有権者にアピールできるほどのものではないため票が獲得できないとおそらく結論付けロヒンギャ問題を沈黙して語りません。スー・チーについて言えば、ロヒンギャの地位向上を選挙公約に掲げると間違いなく選挙で大敗すると読んでいます。

本来リパブリックの意の民主主義は少数派の意見も尊重されるはずなのですが、民主化されたことにより迫害が激しくなってしまうのは皮肉以上の何ものでもありません。ミャンマーは民主主義の歴史が浅いため数の論理がすべてを決めるデモクラシーと理解されてしまっているのかもしれないのですが、アウンサンスーチーに求められることは、民主化したミャンマーの新しい歴史を作り国民を統合することなのでしょう。

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